BONZEブログ

公務復帰

8月14日退院後、歩行することが難しかったのですが、9月に入りようやく1km程度なら歩行できるようになったので、奈良県で開催される近畿教区連絡協議会に参加しました。

少しずつですが、動ける範囲が増えてきました。

再び入院。

左足半月板リハビリも順調に進んでいた7月29日夕方。檀家さんがいらしたので、離れ3階の居間から一階へ降りるべく、松葉杖を使って2階まで階段を降りた。次に2階踊り場から一階階段を降り始めた直後、バランスを崩して一階まで転落してしまった。落下直後意識不明にて、大きないびきをかいていたようだ。ほどなく救急車が到着し東和会病院へ救急搬送された

搬送後の検査で、小脳出血が発見され、絶対安静となった。他は左鎖骨骨折があり、8月2日小脳出血が止まった事を確認し、左鎖骨骨折手術が行われた。手術後、立ち上がると目眩を起こし、あまり良い状態ではない。

退院

おはようございます。

明日7月12日退院します。
7月2日入院、7月3日手術から9日目の朝を迎えました。
術後、膝の腫れが治ることと疼痛管理の面から、松葉杖歩行で病室からトイレ往復とリハビリ室への往復以外はベッドの上で過ごしています。術後の痛みがあるうちは、痛みがなくなるまで安静にしていました。痛みが緩和されてくると動ける自由を感じます。ネット環境が無かった時代の入院生活は、テレビかラジオをイヤホンで聴く、本を読むくらい。今では、こうしてSNSで繋がった友人からメッセージを頂いたり、メールを確認したり、YouTubeやネットフリックスを観たり、Kiindleで電子書籍を読んだり、はたまたZOOM勉強会に参加したり、考え事や心配をしてみたりと暇を持て余すという感覚はありません。
退院後は、約1ヶ月24時間松葉杖生活が始まります。何をするにも松葉杖に頼らなければなりません。それは行動を起こす前に、松葉杖を動かし身体を動かす手順を考える必要があるからです。それを怠ると転倒のリスクが上がります。また身体の不自由な人にとっては、過ごしにくい世の中で対応できるか?と不安もありますが、五体満足の時には感じ得ないあたりまえが、あたりまえではないことを思い知りながら、退院後は楽しめるよう生活したいと思います。
最後に、いつも私のことを気にかけてくれているFacebook仲間の皆様。皆様からの励まし、アドバイスに支えられた入院生活でした。ありがとうございました。

退院後も装具装着、松葉杖生活になります。

松葉杖

7月5日入院生活3日目
3日手術直後より4日午後迄、看護師さんの介助無しではトイレに行けない状態でした。いゃー、気をつかう。極限まで尿意を我慢した後ナースコールON ! あーっ!直ぐに看護師さんが来てくれなーい…..って時もあり、立って小便ができないので、個室入口までクルマ椅子で接近し、手すりを使って華麗に身体を反転させて便器に座るという離れ業をこなし、便器横のナースコールをON !タイミングが早過ぎると、看護師さん待ちとなる。夜中のトイレは尚更気をつかう。介助無しではトイレにも行けないとは….(泣)

4日朝ようやく心電図モニターと点滴が外れた!これだけでも負担が減って気分爽快だ!午後には初めて理学療法士さんが来てくれて、脚の様子を観てマッサージをしてくれた。随分と痛みが緩和された。経過が良いので、午後から松葉杖歩行練習を提案された。そりゃ、もう喜んで!とOKした。

リハビリ室にて、松葉杖の基本的な使い方をレクチャーされる。何の変哲も無い棒なんだけど、機能的なんだなこの棒が。
大事なことは、手術した左足にかかる荷重コントロールだ。松葉杖で歩行ルートに体重計が置かれ、歩行しながら体重計を踏むのだ。段差と足をのせるタイミング、それと最後に足を蹴り出す荷重を測定される。かける荷重の目安は13~18kg迄と決められ、この荷重コントロールが難しい。いかに松葉杖を持っている両手と脇の固定具合に意識を向けるかだ。それによって結果が左右される。

術後1日半にして、松葉杖歩行練習ができたことで、危なげながら1人でトイレに行けるようになった。ほんと嬉しい!
まだ、トイレに行く以外の歩行は禁止されているものの、動けるようになって、少し自由が得られた。それでも23時間はベッドの上で過ごしています。

最後に、今日2回目の松葉杖歩行練習。女性理学療法士さんでした。変化の無い入院生活の中で、話をしながらの練習は楽しかった!

松葉杖を使って歩行
バケツ柄断裂でした。

左膝内側半月板損傷手術

午前中月例施餓鬼法要を終え、午後明日の左膝内側半月板損傷縫合手術の為入院しました。入院先の病院は、規模も中程度でやや古い病院なので、病室の設備や機能面が、新しい病院に比べると劣っているかな。病室は4階ですが部屋からの眺望ゼロ。やや滅入る….看護師さんはフレンドリーで⭕️ ただ….入った病室が、北病棟4階421号室。なんだか意図的か?第一希望はトイレ付の部屋を希望したのに、トイレ無しの第二希望の部屋でした。普通は第一希望が通るよね。この部屋番号、本人とか家族が気づくと「縁起が悪いので部屋を変えて下さい!」とか言われやすい。なので坊さんなら大丈夫じゃね。みたいな意図を感じてしまいます。坊さんなんで…何も言いません。ハイ….
夕食も終わりました。後は明日の手術を待つだけなのだ。

手術前日より点滴開始
手術箇所を表すバンド

生きているといろいろありますね

生きてるといろいろありますね。
コロナ5類移行後、急に寺関係の会議や全国大会が始まり、6月中旬まで気忙しい日々を送っていた。その間には台風接近を予見できず決行した東京での会議。私はあまりのストレスで歯根が折れてしまい盛大に頬や唇まで腫れ、帰阪翌日に抜歯するありさま。後はインプラント治療が待っている。翌週全社連仙台大会。出発日朝に檀家さんから訃報が入り、仙台から帰阪後の葬儀日程を提示したが、葬儀社に丸め込まれて日程が早まり中沢上人に導師を勤めて貰った。18日夜身体が怠くやや発熱があったが1日で治った。その後直ぐ膝に違和感を感じた直後、急に膝が痛み歩行困難になった。幸い安静にできる時間があり、徐々に回復していたが、本日早朝またも膝に違和感から激痛が起こり歩行困難になった。本日MRI検査の結果を聴きく日だった為足を引きずり病院へ行った。結果、半月板内側損傷(亀裂)と診断された。原因は血流が悪くなる正座を長年続けていることで徐々に半月板に亀裂が入ったのではないかということだった。痛みもあり、今後のことを考え、半月板内側損傷縫合手術を7月3日に受けることにした。
身体的、精神的に非常にストレスがかかっている6月だな。

仙台へ

大阪府三島管区社会教化事業協会会長を務めていることから、第61回全国社会教化事業協会連合会仙台大会に参加しました。
1日目が終わりました。
今大会に於ける初日は、東日本大震災慰霊法要を本山孝勝寺様にて厳修。今年13回忌にあたることから、大会実行委員長の強い意志のもと参加者全員出仕の法要が実現しました。120名の僧侶のお題目は物故者への供養になったと思います。震災後物故者の供養に製作された慈母観音像の慈悲極まるお顔が印象に残りました。今日は4年ぶりに総会が開かれます。

東日本大震災慰霊法要

協力するということ…..

2023/04/29 高槻市K寺檀家F家の葬儀式を当山本堂に於いて厳修。

なぜK寺檀家の葬儀を当山で勤めたのか?その経緯は、1年前檀家Fさんが、K寺を訪れK寺住職S上人に「高齢の両親が亡くなった時慌てない為、葬儀社を紹介して欲しい」と尋ねたことが、キッカケだった。その時S上人は、広宣寺住職が自ら葬儀を行なっていることをFさんに話した。それを聴いたFさんは、数日後当山にお越しになり、私から寺葬儀式の内容を説明させて頂いた。

今回F家葬儀式は、4月26日ご遺体を警察署(検死)から当山に搬送、安置。S上人の日程から4月29日葬儀と決まった。

4月28日通夜式 K寺S上人が導師、私とS上人弟弟子N上人が役僧を務めた。通夜式差定(式進行)は、K寺の差定で執り行った。

4月29日葬儀式 S上人導師の元、私、近隣寺院住職M上人が役僧。通夜式と同じくK寺差定で葬儀式を厳修。

ご遺体の安置から葬儀式終了まで、滞り無く式を終えることができた。他寺の檀家さんの葬儀を、しかも菩提寺住職が当山本堂で勤めるという、本来実現することは無いであろう事が実現できたことは、K寺S上人の柔軟な思考によるものだと思います。また、私としては、寺葬儀式を実際に経験して頂くことで、葬儀社主導の葬儀との違いを理解して貰える良い機会であったと考えます。

K寺S上人とM上人のお二人から、今回の寺葬儀式について感想を頂きました。

K寺S上人

今回の広宣寺葬祭部様での通夜・葬儀は、大変勉強になる経験となりました。

人に寄り添うとはどういうことかという問いのヒントを得たように思います。

言うまでもなく、お通夜や葬儀は寺院の重要な役割です。

私たち僧侶は故人を丁寧に弔うとともに、ご遺族に安心していただくことが重要だと考えています。

これまで、良い式にするため力を入れてきたつもりでしたが、不充分なものを感じていました。

それは、大切な人を亡くした方に必要なことができていないという気持ちがあったからです。

もちろん、遺族の助けになる僧侶でありたいとは昔から思っています。

しかし、今までの葬儀の形式ではそれが困難でした。

ご遺族に接しようとすれば行程を狂わせることや、
余計に混乱させることになり、
かえって邪魔になってしまうのです。

結果、式中と前後のわずかな時間にしか関わることができず、
限られた時間の中では形式的なやり取りをすることで精一杯でした。

人が亡くなってから式当日に至るまで、
数々の困りごとや心配ごとがあるはずなのに、
私と対面する頃にはすべて終わってしまっていることが非常に残念でした。

今回、亡くなったことを知らせる最初の電話から、
式の当日に至るまで、相当回数の対応を広宣寺ご住職がしてくださったとお聞きしました。

おそらくこのやり取りの中にこそ、人に寄り添うことの本質があったのではないでしょうか。

些細なことであったとしてもそのときの本人には紛れもない重大事で、
それらひとつひとつに丁寧に対処してくださったことは、
遺族にとって救いであったと思われます。

人の死という大事件の全体図が見えなければできないことで、
そこから思えばこれまで自分が力を入れてきたことは、
ひとつの点をいかに良くするかに過ぎなかったのだと知りました。

一度の葬儀の裏には無数の悩ましい課題があり、
それらを私たちが把握しているだけでも、
檀信徒の安心につながるものと思います。

M上人より

『寺葬儀式…式衆参加』
4月29日に葬儀、式衆としてお手伝いさせて頂くことになり、広宣寺 長谷川上人が提唱する住職自ら最初から最後まで取り仕切る葬儀式とは?
 広宣寺本堂にてお題目三唱挨拶…頭を上げまず本堂に棺そして御飾り落ち着く空気が充満。もちろんてすが、会館とは違う!御本尊の慈愛に包まれてるように思えました。そして式を終え霊柩車まで行列を組み歩いて移動。ここが私の強く印象に残ったシーンでした。それは…住職先頭にお題目で歩くとすれ違う近所の方や遊んでる子どもたちも足を止め合掌しているではないですか、そこに大きな未来を感じました。この風景を目にしたひとも参列の一人、そこから四門出遊の如く『死』について考え生きるということを考え直すきっかけになるかもしてないと思い未来を感じたところでございます。昨今葬儀は会館が当たり前になっていますがお寺で住職が葬儀を取り仕切ることは、なにものにも変えられない安心があり、そのことを垣間見れることができ良い体験をさせて頂きました。ありがとうございます感謝合掌

K寺檀家F家寺葬儀式

ことはな葬

広宣寺葬祭部with一般社団法人双樹

ことはな葬

3月5日朝檀家さんから訃報が入った。12年間寝たきりだつたお母様が亡くなられたとのことだ。12年前脳梗塞で倒れ左半身麻痺。その後直ぐ胃瘻をし3年前に再び脳梗塞を起こされた。12年間故人は言葉を話されることもなく、薄ら反応する程度で家族とコミュニケーションを取っていた。
故人と家族との関係、故人と私の関係を新たに構築して頂きたい想いから、ことはな葬を提案した。出棺当日柩の中の故人に、ひとりひとりが、ことはなに書きしたためた想いを黙読して頂き、故人との対話を促し、家族親族との対話を終えた故人を霊山浄土へ送り出せた。翌日喪主さんからことはな葬の感想とお礼のメールを頂いた。
喪主さんより
「おはようございます。
母親の通夜、葬儀有難うございました。親戚一同良いお葬式だったと皆喜んでいました。
私たち姉弟も良いお葬式をして頂き本当に嬉しく思っています。
有難うございました。」

もう3月…..

年が明けて、あっという間に3月に入りました。

世間では、ポイント付与期限終わるということで、マイナンバーカード取得の駆け込み申請で役所に長い行列ができたと報道されていました。5年前私は、檀家さんの後見人になった時に、檀家さんと共にマイナンバーカードを取得しました。今年初めての更新通知が届き、本日更新手続きを市役所にて完了しました。月日が経つのは早いと改めて感じました。

3月18日~24日は春季彼岸です。この期間は仏道修行をする期間とされ、お寺の春季彼岸会法要へお参り、墓参と各々仏道修行をなされると思います。それ以外に、自分自身を振り返る1週間と考えてみてはいかがでしよう。なぜなら、ただお参りや墓参をするだけではなく、なぜ私はお参りをするのだろう?と振り返ることで、新たなお参りや墓参の意味に気づくかもしれません。